不安に襲われていた私を励ました妻の言葉

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神田 慧瑠(かんだ さとる)
1981年生まれ
大動脈弁閉鎖不全症
小学校教員

神田さんお写真

現実を直視できなかった過去

「手術を受けなければ60歳まで生きられない可能性があります」
2008年10月頃、会社で受けた健康診断で心雑音を指摘されたため専門医を受診し、大動脈弁閉鎖不全症と診断されました。先の言葉は、この時医師に言われたものです。当時私は27歳。自覚症状は全くありませんでした。

診断を信じたくない気持ちが大きく、「本当に手術が必要なのか?」「様子を見ていたら、そのうち治るのでは?」と思い込もうとする日々。1日20本近く吸っていたタバコを減らすこともできず、しばらくの間専門医に通うのを避けてしまいました。

診断から2年経過した頃から、自分の心臓と向き合う覚悟ができ、半年に一度の通院を開始。通院の度に医師から「心臓が少しずつ肥大してきています」「早く手術したほうが良いですよ」と言われましたが、血圧を下げる薬を処方してもらうにとどめました。
手術を先延ばしにした理由は、就職した警備会社で中学からの夢だった海外赴任のチャンスを掴めそうだったからです。手術は目標を達成してから受けたいと考えていました。

さらに3年後の2013年、とうとう夢だった海外赴任が決まりました。赴任先はアフリカのスーダン。警備計画の立案やテロ対策工事などに携わる重要な任務です。

ラクダのお写真 市場の風景
スーダンの市場。スーダンではラクダがよく食べられている。スイカは甘くておいしい。

スーダンへの赴任が決まった時点で主治医に相談し、赴任中は半年に1回の一時帰国の際に通院することを決めました。

スーダン駐在後はナイジェリアへの赴任も決まり、海外赴任は4年にわたりました。この間職場の関係者が誰一人大きな事件や事故に巻き込まれることなく、無事に過ごせたのは私の誇りです。

体調面は、幸いにも全く症状は表れないまま2017年10月に帰国しました。

背中を押してくれた妻との出会い

帰国後は東京へ転勤になりました。
これまでお世話になった地元の医師に紹介状を書いてもらい、2017年12月、日本有数の心臓病手術件数を誇る都内の病院に向かいました。そこで私の心臓は、「これ以上手術を先送りする猶予はない」という状態まで悪化していること、さらに手術を先延ばしにした影響で大動脈に影響が生じ、人工血管置換術も併せて受ける必要があることを知りました。

頭では分かっていたものの、やはり手術を受けることへの不安は切り離せない。そんな私を励まし、支えてくれたのがナイジェリア駐在時の同僚の奥様が紹介してくれた、後に妻になる女性でした。

彼女と二人で会うようになってから、比較的早いタイミングで心臓手術を受ける予定であることを伝えました。というのも、彼女は私が手術を受ける予定の病院で以前看護師として勤務していたので、きっと私の気持ちや状況を理解してくれるだろうと思ったからです。

不安を抱いていた私に対して、彼女は「手術受けた方がいいよ。同じ手術をした人はいっぱいいるよ」「大丈夫だよ。日本で手術するんだもの」とあっけらかんとした様子でした。きっと看護師として多くの患者を診て、支えてきたからなのでしょう。
正直はじめは動揺しました。しかし、かえって彼女の平然とした様子で安心でき、背中が押されたような気持ちになれたのです。

手術を4カ月後に控えた2018年1月。「手術が成功したら結婚してほしい」と彼女にプロポーズしました。
心臓に爆弾を抱えた私と結婚してくれるだろうか?という不安はありましたが、彼女は「こちらこそよろしくね」と笑顔をのぞかせてくれました。

結婚式のお写真
結婚式の様子。妻の存在が手術の不安をなくしてくれた

お陰でしっかり手術に向き合い、手術を乗り越えて妻との新しい生活を迎えたいと前向きな気持ちになることができました。

不安なく臨めた手術当日

手術日は2018年5月。専門医を受診して心臓弁膜症であること、手術が必要だと初めて診断されてからおよそ10年が経過していました。

詳細な検査を受けたところ、私には「大動脈弁二尖弁」という先天的な弁の奇形があることが判明しました。通常3つある弁の開閉部分が私には2つしかなかったため弁に負担がかかり、大動脈弁の逆流を招いたようです。そのため、この手術で「大動脈弁人工弁置換術」「上行大動脈人工血管置換術」「卵円孔開存閉鎖術」の3つの手術を受けることになりました。

しかしあれほど避けたかった手術に対し、手術当日には不思議と恐怖心はなく、手術に向かうことができました。妻の存在がとても大きかったからだと思います。

妻は仕事でカンボジアへ向かっていたため、テレビ電話で手術を無事乗り越えたことを報告しました。画面の向こう側で妻が「成功したんだ。良かったね」と、これまたあっけらかんと話してくれたのを覚えています。

リハビリについては、事前に医師から手術後できるだけ早く行うと説明があったので、手術翌日からベッドの上で起き上がってみたり10m程度歩いてみたり、と少しずつリハビリを開始しました。
不整脈が出たため一時的にペースメーカーを使用し、当初の予定より入院は一週間延びましたが、それ以外異常はなく無事退院の日を迎えました。

手術から一週間後の様子
手術から一週間後の様子。不整脈の症状が出たため一時的にペースメーカーを使用した

手術後の人生をどう生きるか

いまは2〜3カ月に一度クリニックに通院し、手術を受けた病院で年に一度外科の診察を受けています。
食事に関しては塩分を控えるよう指導を受けていますが、おいしいものが好きなのでなかなか管理が大変です。
あれだけ吸っていたタバコは吸いたいと全く思わなくなり、手術を機にきっぱり断つことができました。あとは血液抗凝固剤(ワルファリン)を毎日服用している以外、これまでと変わらず生活できていますが、一つだけ環境が大きく変わりました。

実は手術を受けて約1年後に勤めていた警備会社を退職し、今年の春から小学校の教員として勤務しています。
手術後、残りの人生をかけて何をやりたいか自問自答を繰り返しました。長年の夢だった海外勤務は達成できたし、営利企業ではなく、今後は別の道を歩むべきではないか。そこでふと思い出したのが、小学生の頃から憧れていた教員だったのです。

退職時がちょうど妻の海外赴任のタイミングと重なったので、妻に同行。赴任先のラオスで専業主夫をしながら通信制大学に編入し、教員免許取得に向け必死に勉強しました。

ラオスの風景
ラオスにて。主夫をしながら通信制大学で教員になるための勉強をした

本当に教員になれるだろうかという不安をいつも抱えていましたが、大学の勉強はとても楽しく、知的好奇心が刺激される毎日。社会に出た後に大学で学び直すことは、非常に良い経験になりました。

教育実習のお写真
教育実習での授業

採用試験の面接では、ワルファリンの服用が欠かせないこと、手助けが必要なことの有無などをしっかり話し合い、理解していただきました。
運動は特に医師から止められていませんし、体を動かすのが好きなので体育の授業も自分で行いたいと考えています。プールの授業などで生徒が私の開胸手術痕に気づく機会があるかもしれませんが、その時はどういう経緯でどのような手術だったのか、しっかりと説明したいですね。

手術を控える方に伝えたいこと

最後に手術を控える方に伝えたいことがあります。
まずは、手術が必要ならば可能な限り速やかに受けることをお勧めしたいです。私は目標があったので手術を先送りしたことに後悔はないのですが、結果的に大動脈に負担をかけて手術が大掛かりになってしまいました。

もうひとつは家族や医療者とよくコミュニケーションをとることです。
手術を受ける必要があると告げられたとき、本人はもちろん家族も動揺するでしょう。我が家の場合は母親もひどく落ち込み、手術当日もとても不安だったそうですが、その時も妻が母を励ましてくれました。家族でしっかりコミュニケーションをとることで、不安を少しでも和らげられると思います。

医療者とのコミュニケーションについては妻の受け売りなのですが、入院中にもし不安や痛みが出てきたら遠慮せず医療者に伝えてください。ナースコールを押すのを躊躇せず、不安な気持ちや痛みなどをしっかり伝えることが大切です。私は医師や看護師とできるだけコミュニケーションを取ったお陰で、しっかりケアをしてもらえ、とても感謝しています。
妻曰く「患者さんは我慢してはだめ!」だそうですよ。

ドイツの風景
手術後に行ったドイツへの新婚旅行。これからも妻と共に支え合いながら生きていきたい

私にとって手術後の人生はある意味“予想外のプレゼント”みたいなものです。
これまで、もちろん目標に向かって頑張ってきましたが、海外駐在や心臓手術など色々な経験をし、多くの人と関わることができました。自分が経験したことを子どもたちに伝え、少しでも視野を広げてもらうためにこれからも頑張っていきたいです。
あとは夫婦ではまっている低山登山を続け、体力の維持向上にも努めていきたいですね。

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