出産直後の異変。「疲れのせい」だと思っていた体調不良
2023年11月、46歳で第二子を出産しました。
高齢出産でしたが、母子ともに健康。無事に新しい家族を迎えられた喜びに浸っていました。
しかし、退院後に利用した産後ケア施設に入ってまもなく、体に異変を感じ始めたのです。
横になると感じる息苦しさ。
めまいのような、ふわふわした感覚。
足のむくみが酷く、尿が出ない。
最初は、高齢出産の疲れや産後の肥立ちが悪いせいだと思い込んでいました。
ところが、施設での検査で白血球の値が20,000/μLという、体に異常な炎症反応があることが判明[1]。医師から、心内膜炎や僧帽弁逸脱症の可能性を指摘されたうえで、「1か月後以降に手術が必要になるかもしれない」と告げられ、事態は急転しました。
[1] 日本人間ドック・予防医療学会によると、白血球の基準範囲は3,100~8,400/μL。
突然の「緊急手術」宣告と、背中を押してくれた母の言葉
その後も産後ケア施設で体を労わっていたものの、全身状態は日に日に悪くなるばかり。1週間ほど経った日のお昼過ぎには、体温は38度を超えていました。
「今日、循環器の専門病院に移りましょう」そう医師に促され、救急車で転院しました。
到着してすぐ、頭がぼんやりとするなかさまざまな検査を受けた結果、感染性心内膜炎と僧帽弁閉鎖不全症の診断が下りました。
転院先の医師から告げられたのは、「今から手術をします」という衝撃的な言葉。手術開始まで1時間あるかないかという、あまりの急展開でした。
夫が医師から手術内容やリスクなどの説明を受け、同意書にサインをしている間、私は搾乳や毛剃りなどに追われつつ、実家の母に電話を掛けました。
いきなりの出来事で、当初は全く現実味がありませんでしたが、徐々に“心臓の手術を受ける”という得体の知れない不安に襲われつつありました。しかし、電話先で母が「そこは心臓病手術の経験が豊富な病院なのだから絶対に大丈夫!先生に任せなさい」と力強く励ましてくれたのです。
さらに目の前には、ドラマに登場するチームのように、無駄のない洗練された動きでキビキビと対応してくださる先生方の姿。
母からの励ましも相まって、「この病院なら信じられる。ここなら助かる」「まだ幼い長男と生まれたばかりの子どももいるのに、死ぬわけにはいかない」と腹をくくることができ、手術に臨みました。

回復への道のりと、病室で抱えた孤独
3時間ほどにわたる手術は無事に成功。翌日にICU(集中治療室)で目が覚め、「ここがICUか」と、生涯縁がないと思っていた場所を観察している自分がいました。
当時の記憶はやや断片的なものの、術後すぐに夫や、母、姉が見舞いにきてくれ、とても嬉しかったことを覚えています。私の顔、そして胸の下に入っていた4本のチューブを見て、みんな「頑張ったね」と涙を流して抱きしめてくれました。
開胸手術だったため、胸のあたりがビリビリ痛んだこと、また当初は思うように身動きできず、痰を出すのも辛かったですが、術後の状態は良好で、肺に溜まっていた水も少しずつ抜けていきました。
リハビリは術後1日目からスタートしました。
術後すぐはベッドから立ち上がることすらままならず、数メートルの距離を3分かけてすり足で進むのが精一杯。それでも、理学療法士の方々の励ましを受けながら、点滴スタンドを相棒にして歩行訓練を重ねました。
その後は自主的にリハビリに励み、お見舞いに来てくれた母とも一緒に院内を回ったり、リハビリ室で自転車こぎを行ったり。当初は想像もできなかったほど、身体は着実に回復へと向かっていったのです。
しかし、長い入院生活には精神的な苦しさも待っていました。
感染性心内膜炎を引き起こした心臓内の菌を完全に退治するため、強い抗生剤の点滴を1か月間、打ち続ける毎日。血管が細く、何度も針を刺し直されるのは開胸手術を乗り越えたあとでも辛く、思わず涙がこぼれることもありました。
また、産まれたばかりにもかかわらず離れ離れになった次男のため、3時間おきに搾乳しなければならなかったこと、そして新型コロナウイルスの感染拡大防止のために面会制限が続いており、長男となかなか面会が叶わないのは辛かったですね。
夜中の誰もいない真っ暗なロビーで搾乳器を洗い、消毒している間、窓から遠くに見える新宿の明かりを見て、「まるで籠の中の鳥みたい」と言い知れぬ孤独を感じることもありました。

「メモ」と「日記」が私を支え、母性が私を突き動かした
入院中、私を精神的に支えてくれたのは「書くこと」でした。
私は昔からメモをしたがる性分で、入院中は自分が何時に授乳したか、いつ抜糸したかなどを手帳に細かく記録。父親がすごいメモ魔だったので、その影響かもしれません。記憶をするのがあまり得意ではないので、記録することで後から思い返すことができ、自分の状況を客観視するのにとても役立ちました。
また、「本日のつぶやき」と題して、仲の良い会社の先輩へ毎日メッセージを送らせてもらっていたのも支えになりました。
その日感じたことや病室から見える景色、同じ心臓病と闘う周りの患者さんの様子など…自分の感情を言葉にして先輩に伝えることで、現実を冷静に捉えることができ、心のバランスを保つコラムのような役割を果たしてくれました。このメモは、今読み返しても当時の情景が鮮明に蘇る、私の大切な記録です。

そして、何より私を突き動かした原動力は「母性」でした。
特に印象的だったのは、冷え込みが強くなってきた12月、病院の大きなクリスマスツリーの前で久しぶりに長男に会えたことでしょうか。週に1度の制限はありましたが、主治医の先生が長男との面会を許可してくださったのです。
久しぶりに長男を抱きしめられた時の温もりは一生忘れられません。その瞬間に「早く家に帰って、またこの子たちと当たり前の生活を送りたい」と母親としての実感が改めて体中に満ちていくのを感じました。
よりリハビリにも精を出し、12月22日に念願の退院日が決定。最高のクリスマスプレゼントをいただいた気分でした。

「何があっても乗り越える」術後の制限を越えて
年末に退院し、待ち望んでいた子どもたちとの生活がスタートしましたが、すぐに元のように生活できたわけではありません。
特に大変だったのが、荷重制限です。
開胸手術だったため、術後3か月は胸骨に負担がかからないよう、5kg以上重いものを持つことは禁止。そのため、自宅には必ず家族か友人、同じマンションに住む知人などにいてもらい、授乳の時間になると、ソファに座っている私のところへ次男を連れてきてもらうというスタイルで乗り切りました。
また、病院のソーシャルワーカーさんが区につないでくださり、産後の育児サポートや家事サポートを無料で受けられたのもとてもありがたかったですね。そのほか、自分のリュックサックも中身を極限まで減らして軽いものへと買い替えるなど、工夫を重ねて徹底的に心臓と胸骨をいたわりました。
荷重制限に加え、塩分制限も慣れるまで大変でした。
今振り返ると、以前の食事はカロリーを意識するくらい。担々麵などの麺料理やタイ料理が大好きなので、塩分摂取量は多かったと思います。今は塩分摂取量を1日6g未満に抑える必要があるため、以前のように好きな食べ物を気にせず食べられなくなったのは残念です。

上記の制限に加えて、回復に向けた心臓リハビリも欠かせませんでした。
退院から半年間は、週2回ほどのペースで手術を受けた病院へ通い、心臓リハビリを実施。次男はまだ首が据わっていなかったため、家族に預けたり、自治体が展開する「子育て広場」の預かりサービスを利用したりしながら、通院時間を確保していました。
通院は時に大変だったものの、リハビリで定期的に病院と繋がっていたことで、術後の体調変化にすぐ対応してもらえたという思いがけないメリットもありました。
退院から3か月ほど経った頃、再び息苦しさや発熱、頻脈の症状が現れたのですが、心臓リハビリの予定と合わせて病院へ相談すると、すぐに緊急外来につないでもらい、CTや心エコーなどの検査を迅速に実施してもらえました。術後の炎症反応が疑われたものの、幸いにも異常はなし。数日後には症状も落ち着き、本当に心強かったですね。
術後1年以上が経った現在は心機能も回復。主治医の先生からは「何をしてもいいよ」と言われるまでになり、育休明けには仕事へ復帰しました。以前からの趣味だった高尾山へのハイキングも再開できています。
この経験を経て、私の人生観は大きく変わりました。
以前なら動揺していたような出来事も、「あの死線を越えたのだから、何があっても乗り越えられる」と、どっしりと構えられるようになったのです。自分の命を救ってくれた医療従事者の方々への感謝を忘れず、そして自分が患者側になった経験も生かして、子どもが少し大きくなったら病院ボランティアなどの支援活動も行っていきたいと考えています。
いま、不安と向き合っているあなたへ
体の異変を感じたら、「疲れのせい」にしてそのままにしないでください。
私が患った感染性心内膜炎は、妊娠などで免疫力が低下した体に、口内の常在菌「連鎖球菌」が血液に侵入して心臓で増殖したことが原因でした。そして、それがきっかけで僧帽弁閉鎖不全症を引き起こしたのではないかと考えられるそうです。
実は出産の前月、救急車を呼ぶほどの激痛が左肩に走ったのですが、結局この時は原因不明。しかし、後になって自分で調べたところ、心臓の病気のサインが「肩の痛み(放散痛)」として現れるケースがあることを知ったのです。
この肩の痛みとの因果関係は今でもわかりません。しかし、整形外科などの他の診療科の医師も心臓の病気を疑い、循環器内科と連携してくれれば、もっと早期発見、早期治療に繋がる人が増えるのではないでしょうか。一人の患者として、整形外科と循環器内科の連携がもっと進んでほしいと切に願いつつも、患者側もセカンドオピニオンを活用するなどして、いろいろな可能性を探ることが大切だと思います。
そして、これから手術を受ける方へ。
「心臓の病気」だとわかると、不安で胸が締めつけられるような気持ちになるもの。余計、手術が必要だと告げられれば、「本当に無事に終わるのだろうか」と怖くなるのも自然なことです。
しかし、不安を抱えたままでも、信頼できる病院や医師と出会い、治療に向き合うことで、少しずつ前を向けるようになります。私自身、病気を乗り越えた経験は、自分自身の身体や日常をこれまで以上に大切に思うきっかけになり、治療後は何気ない毎日がふっと愛おしく感じられるようになりました
もし不安で押しつぶされそうになったら、自分の気持ちをメモに書き出してみてください。誰かに伝えなくても、言葉にするだけで心は軽くなりますよ。
