弁膜症を通じてつながる思い

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福原 斉(ふくはら ひとし)
1959年生まれ
心臓弁膜症ネットワーク 代表理事
大動脈弁閉鎖不全症
弁置換術を2度、大動脈置換術を4度、冠動脈バイパス手術を経験

福原さん お写真

弁膜症とのつきあいの始まり

私の仕事は経理でしたが、海外とのやり取りも多く、実際に現地に赴くことも度々ありました。アメリカ、中国、オーストラリア、ブラジル、インドなど、文化も仕事の仕方も違う人たちとの関わりは非常にストレスも大きく、重責のある仕事でした。そんな日々の楽しみは出張時に食べる美味しいお肉やお酒で、私のストレスを発散させてくれました。気づいたら体重はほぼ90Kgまで達していました。

突然私を襲った大動脈解離は、全く頭の片隅になかったわけではありません。実はいとこが30歳代で亡くなっているのです。彼は昼休みに休憩所に座ったままのところを発見され、検死で大動脈解離と診断されました。

そんなこともあったため、発病する以前に診断されていた高血圧に対しては、3か月に1回の通院や1日2回の服薬もきっちりとしていました。血圧はコントロールできていたので、メタボな体型以外は問題ないと思っていました。

ところが2013年お盆明けの暑い日の事でした。仕事が一段落してひとりでアイスを食べていたときの事です。急に胸と背中にいつもとは違う強烈な痛みを覚えたのです。

「何かおかしい、これは普通じゃない」

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突然の大動脈解離は、全く頭の片隅になかったわけではなかった

すぐさま近くにいた同僚に救急車を呼んでもらい、病院で緊急手術となりました。診断は「急性大動脈解離スタンフォードA型」でした。この危機的状況から自分が生還できたのはラッキーの積み重ねがあったからです。

私は医療機器のメーカーに勤めており、周りには医学的知識をもつ社員がいました。また倒れたのが社内だったのも幸運でした。深夜や早朝ではなく周りに人がいてくれたことや海外出張中ではなかったこと、会社のすぐ隣に大学病院があったこと、これらがすべて揃ったことで私がいまここにいられるのです。

命が助かったと思う反面、突然の手術によって起こった開胸術後の痛みと、これからの自分の生活についての不安がすぐさま私を襲いました。

※急性大動脈解離スタンフォードA型
血管は内膜・中膜・外膜からできており、大動脈の一番内側の内膜と中膜の間が裂けてしまう病態が大動脈解離。なかでもスタンフォードA型は上行大動脈に亀裂が起こり、そこから血管が裂けているものをいい、できるだけ早くに手術をしなければ死に至る危険が非常に高い。

機械弁をやめたい

2015年に二度目の手術をした時、大動脈弁には機械弁が使われていました。

手術前の説明では、大動脈弁の閉鎖不全に対して外科的に弁の修復を行うということでした。しかし術中の検査で弁置換が必要なことが判り、急遽、術式を変更せざるをえなかったそうです。私の年齢等を考えると、長期に使える機械弁がよいだろうという医師の判断でした。

ところが2017年、背中の痛みを訴え再度入院をしました。この時には大動脈の拡大が見つかりました。初めの手術から4年、弁置換をしてから1年前半経っていました。大動脈を縫合した場所は、通常血液が固まることで血管を修復していくのですが、ワルファリン (商品名ワーファリン®) を飲んでいるため血液が固まりにくくなっており、その影響で血管の拡大が起こったと医師に説明され、再手術となりました。

心臓の再手術は周囲の組織と心臓の癒着が考えられるため、長時間となることが予測されます。
「今後、また再手術になったらどうなるのだろう」
ワルファリンを飲み続ける限りこの不安は消せないと思っていましたから、生体弁への交換の思いは日に日に強くなりました。

手術の3日前のことです。どうしてもワルファリン治療をやめたくて、思い切って「生体弁を使ってほしい」と医師に申し出ました。その時の医師は私の思いを真摯に受け止めてくれ、主任教授に希望を伝えてくれました。

「福原さん、生体弁にしたいんだって?」
私は自分の希望を主任教授に述べ、十分に話し合った結果「福原さんが望むなら」と納得して先生は生体弁を使ってくれました。

さらにそんな考えをもつ私を病院の医療チームが支えてくれました。手術までの間に医師だけはなく、看護師、薬剤師など多くの医療スタッフの方が様々なサポートをしに病室まで足を運んでくれました。これには非常に感謝をしています。真剣に話をきいてくれ、それを治療に反映してくれたという実感が私にはあります。あのとき主任教授と話ができて本当によかったと思います。

医療の選択を医者任せでいたら自分が納得出来る治療に向かえません。自分で調べて、考えていくことなしでは、やらされ感や後悔が出てしまうでしょう。自分でちゃんと調べて、それを率直に医師に話すことが必要なのではないでしょうか。

ライフスタイルの変更と里山

会社を辞めるまでは本当に忙しい日々を送っていました。しかし現在では里山の維持・保全活動をしており、稲作をしたり畑を耕したりと四季折々の楽しみを仲間とともに味わっています。

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里山の維持・保全活動を行う福原さん
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自分ができることを、自分のペースで

病気のとのつきあいは自分を見つめなおすきっかけでもありました。
もともと私は農家の出身で、会社にいた頃から時間ができたら農業などできたらいいなと漠然と考えていましたが、忙しい毎日のなかで、それすらも思い浮かぶ余裕すらありませんでした。

ところが大動脈解離を原因とする脳梗塞発病と再手術の準備の為に2014年12月末会社を退職し、治療に専念をしているある日のことです。偶然に里山保全のパンフレットが目に付き、自分にやれることを探し出しはじめました。血管への負担を少なくする必要があるのでバリバリと農作業はできませんが、今では自然の中で自分ができることを自分のペースでやれています。

病気になることは、必ずしも悪いことばかりではありません。
確かにこれまで好きだった水泳の為にプールに行くことや、自宅から江の島までサイクリングしてハンバーガーを食べて帰ってくる楽しさはもう味わえないかもしれません。そのかわりに得られた楽しみや幸せもあります。

弁膜症ネットワークへの思い

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いろんな悩みを共有し、つながる場にしたいと語る福原さん

人は病気になると、活動が制限され視野が狭くなりがちです。
弁膜症は様々な原因で発症するため、若い人もいれば高齢の人もいます。それぞれの考え方、ライフスタイルがあり一様ではありません。そのため悩みもそれぞれにあります。
しかし病気になったからといって、自分の人生がそこで終わるわけではありません。できることの中から楽しみを見つけていくことが大事なのではないかと思います。
無いことを嘆くよりもあるものを受け入れて、それを楽しむことができればよいのだと思います。

弁膜症ネットワークでは、病気であっても楽しみを見つけるきっかけを仲間から得てほしいと考えています。

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病気であっても楽しみを見つけるきっかけを

医療のことや生活のこと。つながることでいろんな悩みを共有できると思います。すぐに解決方法が見つからなかったとしても、心や気持ちがつながる場。そういう会にしていきたいと思います。

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