治そうとする思いの大切さ

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藤原 正樹(ふじわら まさき)
1952年生まれ
僧帽弁閉鎖不全症(2022年6月に手術)
職業:大学教員

藤原さんのお写真

その時は突然やってきました

心エコー検査の結果を聞くために病院へ来たら、「心臓弁膜症が進行しており、手術が必要である。」「これ以降は、心臓血管外科に引き継ぐ。」との“通告”を受けました。

最初はピンときませんでした。激しい運動をしたら動悸がしばらく収まらない、という症状は自覚していましたが、日常生活は全く不自由が無かったからです。その頃は、運動後に動悸が収まらない期間が長くなったとは思っていましたが、コロナの3回目接種後だったので、副反応が続いているのではとのぐらいの自覚しかありませんでした。

私は24年前に、心房中隔欠損の手術を受けた経験があります。43歳の時でした。それ以降の健康診断では、心臓に雑音があるとの診断をいつも受けていましたが、手術の後遺症が出ているという程度にしか思っていませんでした。それどころか、「心臓は一度手術して先天性疾患が治ったのだから、もう二度と心臓が悪くなることはないだろう」という今から思うと根拠の無い自信を持っていました。

そのため、心臓手術が必要という“通告”は想定外で、正面から受け止めることが出来ませんでした。

自覚を促す事態の発生

私は趣味で卓球をやっています。中学・高校と数年間部活でやり、その後65歳の定年退職を受けて約50年ぶりに卓球を再開しました。週1~2回程度ですが、それなりに激しい運動になります。

要手術の通告を受けた頃から、運動後に動悸が収まらない期間が長くなってきました。普段は、卓球の練習後数時間で動悸は収まっていましたが、その頃には数日動悸が収まらない状態になっていました。

心臓血管外科の診察を受ける日には症状が進んでおり、診察からそのまま心不全による緊急入院となりました。この緊急入院で手術に対する決意も固まりました。

手術の時期は「緊急性が無いなら時間が取れるときに」と悠長に考えていましたが、できるだけ早く手術を受けることにしました。

地元の基幹病院を入院先に選択

病室からの景色
入院した病室から~屋上のツツジがきれい~

早期の手術を決断した次は、入院する病院の選択です。

このときには心臓手術に関する情報、病院の情報を必死になって調べました。手術に関する情報では、心臓手術は日進月歩で技術が進んでいることを知りました。24年前に私が心房中隔欠損の手術をしたときには、胸骨正中切開の一択という状況でしたが、今日ではMICS(低侵襲心臓手術)が一般的になってきており、ロボット支援手術も進んでいることを知りました。また、病院選びでは治療実績が重要だと考え、「病院情報局」※というウェブサイトなどの病院情報を参考にいくつかの病院を比較検討しました。

その結果選択したのは、地元の基幹病院で胸骨正中切開による手術を受けるという判断でした。この病院は、私が心不全で緊急入院した病院です。胸骨正中切開による手術を選んだのは、私の場合2回目の心臓手術になり臓器癒着などのリスクが高いため、高度先端医療より実績豊富な手術法を選択しました。また、手術内容は、弁形成または弁置換の両方で準備しましたが、弁形成術で行うことが出来ました。

病院の選定では、循環器科の診察実績が豊富な地元の基幹病院を選択しました。この病院を選んだ決め手となったのは、前述の心不全での緊急入院の経験です。ここでは、ハートチームという名で医師、看護師、薬剤師をはじめリハビリを担当する理学療法士、作業療法士、管理栄養士までがチームとして患者に対応しているのが印象的でした。緊急入院した直後は、「なぜ、こんなに大勢が入れ替わり立ち替わり病室に来るのか」と怪訝に感じましたが、次第にその意味がわかってきました。心臓弁膜症の手術は治療の終わりではなく、体を治す出発点であることを理解しました。

入院に向けた準備

私は大学院で教員をしており週4日間、講義を担当しています。入院に向けた準備で一番苦労したことは、入院中の授業をどうするかでした。大学院の講義は専門性が高いため他の先生に代わってもらうことは容易ではありません。同僚の先生や大学院の事務局と相談した結果、休んでいる間は授業の録画で対応することにしました。幸いコロナ禍でオンライン授業が一般化しており、オンデマンド方式で講義を提供することにしました。さらに、リアルタイムで学生に対応する必要がある部分は、同僚の先生やアシスタントの学生に代行してもらうことにしました。

入院前の2週間は、入院準備と入院中の録画授業の作成を並行して行ったので結構大変でした。入院中も病室にノートPCを持ち込み、体調の良いときはネットワークを介して学生の提出課題のチェックなども行なっていました。綱渡りのような部分もありましたが、なんとか授業に穴を空けることなく乗り切ることが出来ました。

リハビリテーションの重要性を知る

リハビリ計画の一部 リハビリ計画の一部
リハビリ計画の一部~部屋に貼り、リハビリ関係者に渡して習慣化のために使いました~

退院後は、在宅勤務ながらすぐに仕事に復帰しました。しかし、発症から手術・退院までの間に思いのほか体力が落ちていることを実感しました。退院後2週間後に突然虫垂炎を発症し緊急入院しました。担当医が「大病すると免疫力が落ちて意外な病が出てくる」と言われていたことに納得しました。

退院後のリハビリは、5ヶ月間続きました。通院してのリハビリは週1~2回でしたが、毎日、筋トレ、有酸素運動、食事に注意する生活を送りました。その習慣は、手術後1年半を過ぎた今でも続いています。

リハビリを続ける上で気をつけたことは、「習慣化」することです。退院後のリハビリは結構苦痛だったので、何も考えずに実行できるように1日の生活のリズムに組み込むようにしました。また、リハビリメニューをA4用紙に書き出し、そのメモを主治医やリハビリ担当の理学療法士さん、看護師さんなどに渡しました。これで“緊張感”を持ってリハビリに取り組むように仕向けました。

退院直後の体重は60Kgでしたが、1年掛けて元の体重である66Kgに戻しました。体重が増えるにつれて逆に体が軽く感じるようになりました。趣味の卓球も動悸の高まりを気にせずに続けられるようになりました。もっとも、激しい運動の後は数日筋肉痛になるのは年相応とあきらめています。

リハビリ最終日の様子
リハビリの最終日:修了証書を手に

社会と関わり続けること

私は大学院の教員として教育・研究に関わると共に、地元のNPO法人で中小企業のデジタル化支援に関わっています。今回の手術・入院を経験して、これら社会との関わりがわたしの心の支えになっていることを実感しています。50歳・60歳代と比べ、集中して仕事が出来る時間は短くなったと自覚することは多いですが、仕事の量を調整していけば仕事の質は維持できると思えるようになりました。「高齢だから無理をしないで」とよく言われますが、「無理をしない」ことの意味がわかるようになってきました。

大学院で公開講義をする藤原さんのお写真
大学院・公開講義での筆者

家族の支え

最後に、家族のことを書きます。 私の家族は、私たち夫婦と猫(♂)という構成です。私が入院・手術の必要を告げられ明らかに動揺しているときも家族は冷静でした。入院や通院の時にはほんとうに助けてもらいましたが、それ以外の時は通常と変わらない生活でした。家族の冷静さが私を落ち着かせ、腹をくくって病気に立ち向かう心の余裕になったと思っています。

我が家のネコもいつも通り私と接していました。退院した日に、何度もネコじゃらしをせがまれたのには疲れましたが、ネコなりに私を心配してくれていたのかも知れません。

※ここで紹介している情報は情報提供であり、心臓弁膜症ネットワークとして特定のサービスを推奨するものではありません。

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