一人ひとりがQOL向上を目指して

facebook twitter line

前野 充男(まえの みつお)
1967年生まれ
僧帽弁・三尖弁閉鎖不全症/大動脈弁閉鎖不全症
After Surgery Fun Run協会 関西準備委員会代表

前野さんのお写真

2度の心臓手術から、フルマラソン完走へ

私は、2度の心臓手術をしました。1度目は、2013年12月、46歳の時に、2度目は、2018年6月、51歳の時でした。
2度目の手術後、1年以内のフルマラソン完走をリハビリ目標にしました。そして、術後8ヶ月目で、姫路フルマラソンを制限時間内で無事完走することができました。手術をしたのにフルマラソンなんて無茶なことと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、私は術後の運動制限の範囲内でできることを工夫したにすぎません。もともと、ランニングは大嫌いでしたが、アンチエイジングのために足腰を衰えないようにしておこうと、嫌々ながら走り始めました。45歳の時です。それが、2度の心臓手術を終えた今、少しは楽しめるようになってきたことは、自分でも不思議に思います。

前野さんのお写真
『術後8ヶ月目で挑戦した姫路フルマラソン完走証』

手術しなければ、5年後の生存確率は50%

1度目の心臓手術は、僧帽弁・三尖弁閉鎖不全症の形成手術です。病気発見のきっかけは、会社の健康診断の聴診です。「雑音がある」とのことで、近所の循環器内科で検査したところ、僧帽弁閉鎖不全症のレベル3(4段階の3)と診断されました。経過をみるから6ヶ月後に検査に来てください、と言われました。「心臓病」という言葉にショックを受け、この先どうなるんだろうかと不安でいっぱいでした。
その2か月後に、心臓病は怖いからセカンドオピニオンを受けたほうがいいと友人からアドバイスされ、紹介してもらった病院で検査したところ、重症の弁閉鎖不全症で手術ステージであると診断されました。

心臓弁閉鎖不全症は、徐々に進行していくからか、自覚症状を感じないことも多いようです。私もそうでした。痛みもないし苦しくもない。それなのになぜ手術しなければならないのか。そう思いましたが、「このまま何も処置しなければ、5年後の生存確率は50%」と言われたことで、手術を決断しました。この即決に対して、「46歳の若さで自覚症状も感じないのに、手術を決断できるなんてファインプレーものだよ」と、主治医から言われました。そうなのです。死ぬ確率が50%と言われても、手術を決断できる患者はそれほど多くないそうなのです。いろいろと悩むことはありますが、命あっての物種です。

知識を増やして、冷静に対処する

手術をすると決めたものの、術後のQOLに関する情報が少なく、不安が尽きませんでした。特に、ネット、本で探した限りでは、50歳以下の若い世代の事例はほとんどありませんでした。ようやく、40歳台で僧房弁閉鎖不全症の形成手術をされた方のブログを見つけました。とても知的な文章で、入院から手術後の生活まで詳細を綴られていました。不安が和らぐとともに、自分の知識の無さを痛感しました。「心臓病で死ぬかもしれない、心臓手術後は普通の生活が困難になる」なんてことを勝手に思いこみ、無知であるがために不安を抱えていたことを反省し、ネットや本で心臓病について知識を増やしました。

1度目の手術は、終わってみれば想像していたほどの辛さはなく、日に日に体力が快復し、手術創は痛みましたが、退院時には意欲満々で、退院後1週間検査が終わったら、仕事復帰しようと思っていたくらいです。
仕事復帰を焦る私に、主治医はこう言ってくれました。「壮年期に会社を堂々と休むことができるのは滅多にないことだ。好きな本を読んだり、好きな映画を観たり、そういう時間も人生には大事だよ」
少し考えましたが、主治医のアドバイスを素直に聞き、退院後1ヶ月間、会社を休みました。今思えば、この頃から、QOLや働き方改革のことを真面目に考えるようになりました。

※Quality of Lifeの略語。日本語で「生活の質」を表す。「不快に感じることを最大限に軽減し,できるだけその人がこれでいいと思えるような生活が送れるようにすることを目指した,医療の考え方のこと」(国立国語研究所「病院の言葉」を分かりやすくする提案より)

想像以上に大きかった2度目の手術のダメージ

その5年後、51歳の時に2度目の手術、大動脈弁閉鎖不全症で機械弁置換手術を受けました。
QOLを考えると3度目の手術の可能性は低いほうがよいと判断し、機械弁置換を選択しました。
この判断は正しかったと思っています。というのも、手術後の体へのダメージがとても大きかったからです。1度目の手術とは全く違いました。手術時間は10時間、心停止は3時間にも及びました。私の大動脈は生まれつき薄く脆かったために、弁を大動脈に縫合する最中に血管が裂け、縫合を何度か繰り返したそうです。ICUでは歩行禁止で、トイレもベットサイドの簡易トイレです。また、入院中に39度以上の発熱が2度あり感染症の疑いがあったため、入院期間が40日と長期間になってしまいました。げっそり痩せ細り、退院時の外見は病人そのものでした。

前野さんのお写真
想像以上に2度目の手術が与えたダメージは大きかった

なぜ、フルマラソン完走をリハビリ目標にしたのか

心臓病といえば生死にかかわる大病で、手術は大手術、術後は闘病、というイメージを持っていました。
私の場合は、幸運なことに手術のタイミングが良く、心機能は回復するとのことでした。
日常生活を取り戻すのは当たり前として、QOL向上にもっと自信がもてるようになることをしたいと思っていました。心臓手術をしたからといって、必要以上の不安を抱えながら生きることはストレスがたまります。本当はできるのに、自分で制約を作ることは、人生を楽しく過ごすにあたってマイナスになります。出来る範囲で創意工夫して心機能を回復させ、やりたいことをやれるようにしたいと思いました。
そこでチャレンジしようと決めたのがフルマラソンです。マラソンというと、しんどい、辛いと思われがちですが、タイムを競わなければマイペースでできるスポーツです。
とは言うものの、手術前に弱気になり、目標をハーフマラソンに変えようかと、冷静に考え直したこともありました(笑)。
しかし、同じチャレンジをするなら、ちょっと高めのハードルのほうが達成した時の喜びも大きいと思い、目標はやっぱりフルマラソン完走に決めたのです。

フルマラソン完走への復活ロード

自分に合った「スロージョギング」というトレーニングを愚直に継続しました。
術後3ヶ月目から走りだし、8ヶ月目でフルマラソンに挑戦し、4時間58分でゴール出来ました。
決して無茶をしたわけではありません。体力の快復度合いをCPX(心肺運動負荷試験)で客観的に測定し、主治医とトレーニング方法を共有し、 フルマラソンを走るにあたっての約束(注意)も交わしました。
素人が、自分の都合のいいように解釈するのは危険です。会社員の私が、趣味のランニングで命を落としたくありません。今も、主治医に相談しながら、制約の範囲内で走っています。

また、手術が決まってから、フルマラソン完走までの記録をブログで発信することにしました。
ブログに全く興味がなかった私が、50歳を超えて、まさか自分が発信元になるとは、びっくりです。
拙ブログ「2度の心臓手術からフルマラソン完走までの復活ロード」、よろしければ、ご覧ください。

仲間への感謝

フルマラソン完走をやり遂げられたのは、ラン仲間のサポートがあってこそです。走れない時でも練習会に声をかけてくれた仲間、大事な練習時間を私のリハビリ練習に使ってくれた仲間、復活フルマラソン大会に応援に来てくれた仲間、沿道を並走して勇気をくれた仲間。本当に感謝しています。マラソンは、チームプレーだと心から実感しました。
また、仕事についても、私の抜けた穴を職場の仲間が埋めてくれました。
この環境を与えてくれた仲間に、心から感謝しています。

前野さんのお写真
『仲間のサポートで完走できた姫路フルマラソン後、術後2回目の神戸フルマラソン完走』

QOL向上に向けて

病気を治してくれるのは医師ですが、術後のQOL向上には、心臓弁膜症をもつ人の創意工夫が大事だと思います。
私は、たまたま、リハビリ目標にランニングを選びましたが、患者一人ひとり、病状も違えば、生活も違うし、ましてや、QOLに対する価値観も違います。確かに制限はあるかもしれませんが、主治医と相談したうえで創意工夫していけば、試行錯誤はあれど、それぞれのQOLを高めることができると思います。

昨年から、一般社団法人ASFR協会(After Surgery Fun Run)のお手伝いを始めました。ASFR協会とは、心臓手術経験のある元患者さんといっしょに、ジョギングやウォーキングをする団体です。東京を拠点としているASFR協会の活動を、関西に広げることに取組んでいます。

このような活動を続けることで、自分の体験を活用できればいいと思っていますし、一方、私自身もまだまだQOLを向上させていきたいので、皆さんからの情報を得ることも期待しています。このような環境を大事にしたいと思います。

  前野さんのお写真   前野さんのお写真   前野さんのお写真
  
術後は、ランニングの他にも、機会があれば生まれ変わった気分で一度はやってみようと思うことが多くなった
TOP