何のために生きるのか 考えて下せた適切な判断

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玉井 真一郎(たまい しんいちろう)
1956年生まれ
大動脈弁閉鎖不全症
海外営業・コンサルティング部長

玉井さん お写真

身体に気を使いながら海外を飛び回っていた日々

アメリカやヨーロッパの工場に足を運び、毎朝100通以上ものメールをさばいて海外のマネージャーと連絡を取り合う。時にはマレーシアにたった一人派遣され、コンクリート剥き出し状態だった事務所から新法人を立ち上げ、事業の売り上げを億単位まで伸ばしたことも。どれも私の日常であり、糧となった大切な経験です。

昔から海外に出張や駐在する機会が多く、仕事に邁進してきました。
定年退職後の2019年9月に、かつて仕事で知り合い意気投合した友人らと共に会社を設立。東南アジアの養殖市場に注目し、日本の技術や製品を販売したりコンサルティングを行ったりと、月の半分近くをベトナムやタイなどに出張していました。

海外出張中も、ジョギングやジムに通うなどして体力づくりを意識。じっとしているよりは動いている方が好きだったので、忙しくも、とても充実した生活を送っていたと思います。
だからこそ、まさか自分の心臓に問題が生じるとは想像だにしていませんでした。

ジムに通うお写真
国内外どこにいても体力作りは欠かさなかった

息ができない――突如襲った眠れないほどの辛い症状

2020年1月ごろまでベトナムを拠点に仕事をしていましたが、今まではどれだけ歩いても平気だったのが、この頃は30分程度歩いた後にすこし体が辛くなるようになりました。ただ、「いつもより疲れやすい」と感じる程度で、症状はとても軽かったように記憶しています。

ドバイの展示会のお写真
2020年1月ドバイの展示会にて

しかしベトナムから帰国した同年3月のある夜、布団に入り横になったところ突然息ができなくなったのです。ほぼ垂直に近い角度で上半身を起こせば息苦しさは解消されたものの、それ以上上半身を倒すと息ができませんでした。
実はこの日から数週間前にも同様の症状が一晩出ていたものの、翌日は何ともなかったのでさほど気にも留めませんでした。
しかしこの時は全く違いました。翌日も眠りたくても横になれず、ただひたすらテレビを観て夜を過ごしました。この症状は2日間続き、一睡もできませんでした。

この時、友人との会社を立ち上げてわずか半年ほど。
これからもっと事業を広げようと考えていたさなかに、新型コロナウイルスの感染拡大で海外渡航制限がかかり、身動きが取れなくなりました。今後どうしたらよいのか頭を悩ませていた時にこのような症状が表れ、心身ともに辛かったですね。

症状が出てから3日目に、地元の医院を受診。レントゲンの結果を見た医師はすぐ大学病院を受診するよう促したのです。医師の迅速な判断に「それほど大きな問題なのか」と驚きつつ、その足ですぐ大学病院に向かいました。

大学病院では医院で撮ったレントゲン写真と紹介状を見てもらった後、医師に即時入院を促されました。肺に水が溜まっていて、直ちに処置しなければならない状態だったのです。

医師に「自分で運転できますか?」「帰れますか?」と何度も確認された後に、入院準備のために車を運転して帰宅。荷造りをしていた時もなかなか実感がわきませんでした。
2日間一睡もできない状態は異常だと感じていたので、「入院が必要と言われても仕方がない」と思う一方、息苦しさ以外はほとんど症状がなかったため「本当に入院しなければならないのか?」という疑問も頭の中を駆け巡りました。

タクシーに乗って再び病院に戻ると、すぐ車椅子に乗るよう指示され、初めて事の重大さを感じました。

「今しかない」と決断できた手術のタイミング

肺に入っていた水を抜くため、入院中は飲水制限を行いつつ利尿剤を服用しました。
カテーテル検査で心臓の状態を確認した後、心臓弁膜症と診断されました。重症度は「最も深刻な4」。非常にショックを受けました。
この時、3〜4年前の検診で心エコーを促され検査をした結果、心臓が若干肥大していたこと、逆流の症状がわずかながら見つかったことを思い出しました。しかし、自覚症状はほとんどなく、そのまま忘れてしまっていたのを非常に悔やみました。

大学病院には3週間入院しましたが、検査結果を踏まえて外科手術が必要と判断されたため、心臓外科手術を受けられる同じ系列の大学病院を受診。そこで医師から今回の手術では「機械弁への置換術」「生体弁への置換術」「弁形成術」 の3つから選べることや、年齢的にどの術式も選択可能で、すぐに決断する必要はなく、いつ手術を受けるかは私の判断に任せるとの説明がありました。

手術時期の回答は一旦先延ばしして様子を見ることにしたのですが、その間は薬を服用して、血圧を下げる必要がありました。しかし服用した薬は心臓の働きを抑えるもので、薬の作用によって今まで普通にできていた動作がきつくなってしまったり、気力が消失したりという症状が出始めたのです。

「この状態が1年も2年も続くのはやり切れない」
そんな思いに加えて、緊急事態宣言で海外に行けず仕事が中断していたため「手術をするのは今しかないのでは」という思いも浮かび、手術を受けようと決断。退院から約2か月後のことでした。

情報収集と医師への信頼で不安なく手術に臨めた

コロナ禍の影響で手術は一度延期になったので、手術方法や成功率などについてできる限り調べました。
万が一を考えて、子どもには病気や手術のことを伝えて心づもりをしてもらいましたが、手術の成功率の高さは知っていましたし、担当医は同様の手術を100例以上執刀されてきた経験豊富な方だったため不安はありませんでした。

そして迎えた、手術当日の2020年8月6日。担当医にすべてお任せするしかない“まな板の鯉”状態でしたが「やると言ったからには、やるしかない」という気持ちで臨みました。

手術は自分の心膜を使った大動脈弁形成術をお願いしました。仕事で発展途上国に行く機会があるため、生涯抗凝固薬(ワルファリン)を服用する必要がないなど手術後の管理が少ない弁形成術が良いと思ったからです。
手術は無事成功。高い技術が必要で、さらに執刀時間との戦いであっただろう難しい手術を成功に導いてくれた医師には、本当に感謝しかありません。

入院中のお写真
手術後病院の集中治療室。移ってから間もなくリハビリが始まった

じっとしているよりも行動する方が性に合っていた私は、手術後はリハビリに励みました。スクワットは10回でいいところを20回やり30回やり、歩く練習も長距離歩き…おかげでリハビリの先生に「もう少し抑えてください」と注意されるほどでした。

手術後は自炊と運動に気を配り自己管理を徹底

手術を受ける前と比較すると体調は良く、以前とほぼ変わらない生活を送れています。

医師からは食塩の摂取量に気を付けること、また体重を増やさないよう指示を受けました。栄養バランスを意識して自炊し、体重を記録して適度に運動を行っています。まれに総菜を買うこともありますが、薄味嗜好なのでドレッシングを使わず食べたりみそ汁を控えたりして、無理なく減塩生活を続けています。
体重は手術後から12kg落ち、以来ほとんど変わっていません。

ただ、正直のところ手術以前と全く同じ状態になっているかはまだ自信がありません。
大きな手術を受けた方であれば、誰もが同じだとは思うのですが、「以前の自分」と「今の自分」はその期間だけ年を取っており、今の自分が疲れやすさや息切れのような症状を感じても、これが病気や手術によるものなのか、もしくは老化によるものなのかなかなか判断できないためです。
不安はゼロにはなりませんが、今後も定期的に健康診断などを受け、客観的に自分の状態を判断していきたいと思います。

あの日の自分を勇気づけた体験談

心臓弁膜症の症状には息切れや疲労感、動悸など様々挙げられるため、何らかの体調変化を感じても、心疾患が原因だと気づかないケースがほとんどだと思います。何か変だなと思った方がいらっしゃったら、まずは精密検査を受けてみてください。

私の場合、仕事も趣味も積極的に楽しみたいという想いが強くありました。服薬によって息切れや無気力状態が生じた時、趣味のゴルフにも行けず、ジムで体を動かすこともできないとなると何のために生きているのか…と考えることもありました。躊躇しないで医師の言うとおり行動して良かったと心から思います。

ゴルフをするお写真
2016年8月タイで楽しんだゴルフ。これからも趣味として続けていきたい

実はいま、仕事で新しいプロジェクトの話を頂いていて、とてもワクワクしています。新型コロナウイルスの状況によって将来は大きく変わるので現段階でどうなるかはわかりませんが、夢や目標を追い続けていきたいですね。趣味のゴルフも引き続き楽しみたいです。

それでは最後に。
今回の手術を受ける前、心臓弁膜症ネットワークの「体験者の声」で、手術後にフルマラソンをしている方の体験談を読んだ際は大きな励みになりましたし、気持ちが楽になりました。私の体験談も、誰かの励みになれば嬉しいです。

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