塩崎 律子(しおざき りつこ)
僧帽弁閉鎖不全症
職業:自治体非常勤職員
人間ドックで要精密検査となる
2020年6月、健康管理のために毎年受診していた人間ドックで、心臓の収縮期雑音がⅣ度1と診断され精密検査を受けるよう勧められました。「心臓弁膜症の可能性が高いです」との医師の言葉が信じられませんでした。
毎週ホットヨガで汗を流し、年に数回はマラソン大会(10km)に参加。頻繁に国内外の旅行を楽しんでいた私にとって、心臓に問題が生じるなどということは思ってもみないことでした。
1Ⅳ度
心雑音はLevineの心雑音強度分類でⅠ~Ⅵの6段階に分類され、数字が大きくなるほど心雑音が大きいことを表します。Ⅳ度は、第Ⅱ度と第Ⅴ度の中間で強い雑音があり、スリル(振戦)を伴います。
心臓弁膜症と診断されて
後日、職場から近い大学病院循環器内科で精密検査を受けたのち、僧帽弁閉鎖不全症の診断を受けました。この病気が薬で治ることはなく、治癒のためには手術が必要であることを告げられました。
血液の逆流量は重度。年齢を踏まえると、数年は無症状の可能性があるものの、症状が出てからの手術は心臓肥大や弁の機能低下によって僧帽弁形成術が難しくなる場合があるため、手術を前向きに検討することを勧められました。
自分の病気と向き合う過程の気持ち
診断を受けて以来、病気に関して書籍やインターネットで調べる日々。手術方法には胸骨正中切開のほか、MICSや手術支援ロボット(ダビンチ)を使った患者への負担が少ない低侵襲手術があることを知りました。自分なりに調べて病気の正体が見えて来ると少し落ち着く反面、様々な体験記を読んでは一喜一憂するような日々を送っていました。
自分の心臓がどのような状態になっているのか不安で、それまで心臓弁膜症の自覚症状は全く感じていませんでしたが、時折動悸を感じたり手足が冷たくなり痺れるような感覚に陥ったりしました。
息苦しさを感じることもありましたが、このような症状が病気によるものなのか、病気に対する不安からくる精神的なものであったのか。その頃の私は家族に心配をかけたくない思いや職場に迷惑をかけたくない気持ちが先行し、一人で悩んでいたように思います。
心臓の病気といえばすぐに命に関わると感じてしまい、心細く、そして落ち込みがちです。病気の知識を得ることは重要ですが、様々な情報にふりまわされて落ち込み疲弊することなく、信頼できる先生に相談したり、家族や友人に話をしたりすることは大切なのだと強く思います。
セカンドオピニオンを利用して手術方法、病院を決める
落胆する私に大学病院の循環器内科の医師は、「納得できる治療を受けるため、決断までに時間をかけても良いですよ」とアドバイスくださり、私の病状や様々な手術の方法について丁寧に教えてくださいました。また、偶然にも自宅から徒歩圏内にダビンチ手術の症例を多数お持ちの心臓専門の病院があると知り、思い切って申し出たセカンドオピニオンにも快く応じてくださいました。
診断されてから半年後の12月、最初に診ていただいた大学病院と、自宅近くの心臓専門医院の外科医師とそれぞれ面談できることになりました。実際に執刀してくださる外科医師と事前にお話しさせていただける機会を得られたことは、納得のできる手術を受けるために大いに役立ちました。
当日はこれまでネットや書籍で調べ上げた手術方法や所要時間、退院までの日数、術後の生活、一番気がかりだった手術の成功率、そしてやはり気になる傷跡など質問事項や希望する項目をノートに記し、面談に向いました。
2人の外科医師はその場で心臓の描かれた用紙に書き込みを入れ、病状の説明や術式、リスクなど丁寧に説明してくださり、私の遠慮のない質問にもわかりやすくお答えくださいました。
大学病院では身体への負担が少ないMICSによる手術になるとのこと。症例が豊富で安全性が高く、大学病院では手術の際やその後万が一の不測の事態にも対応ができる様々な診療科があり、安心であることをはきはきとした口調で熱くお話しくださいました。
一方、自宅近くの心臓専門医院ではダビンチによる症例が多く、いかに身体に負担が少ない低侵襲手術であるか、術後の生活復帰も早いことなどを淡々と説明してくださいました。穏やかな言葉の端々に最先端の心臓病治療にかける思いが強く伝わりました。他の手術方法と比べ術後の傷跡が小さいこと、そして私の不安な気持ちにも寄り添ってくださり、ともに病気に立ち向かう勇気をいただいたこと、それが決め手となりこちらの病院に決めました。
最終的にセカンドオピニオンの病院を選択したことは、申し訳ないような気がしましたが、お世話になった大学病院循環器内科の医師は「ご自分で決めた賢明な選択です」と後押ししてくださり検査のデータなどを全て、手術を受ける病院にお送りくださいました。「賢明な選択」という言葉が印象に残り、この半年ネットや書籍と向き合い悩んでいた私が、手術に向けて前向きに、そして術後の自分に期待できるようになっていきました。
入院前の準備
手術の日程は2021年のお正月明けに決定。この頃にはこれから起こる貴重な体験を積極的に待ち受ける私がいました。
病院に持参する用品についても明るい色のうがいコップにしようとか、入院時にはお気に入りのワンピースを着て行こうとか、まるでいつもの旅行に出かけるかのように身の回りの品々をボストンバックに詰めていました。
担当医からの説明や体調などの記録を取るためにメモ帳やペンなどを持参しましたが、持参した色鉛筆で入院の後半には病室の風景などもスケッチしました。こうした病院での記録やスケッチは後日楽しく見返しています。
手術を目前に控えた年末には思い切って「さだまさし」のクリスマスコンサートに行きました。手術の覚悟はできていたつもりでしたが、来年も必ず元気でこのコンサートに来ることを一つの目標にする!と。ちなみに術後2021年の年末コンサートにも行くことができました。
新型コロナウイルス禍で受けた手術
お正月明けはいよいよ入院です。新型コロナウイルス感染症の感染拡大予防のため、PCR検査後の入院となりました。コロナ禍のため面会は禁止でしたが、先生方や看護師さんの優しい笑顔に救われました。
迎えた手術前日。手術前最終説明を緊張の面持ちで聞く私は、担当医師から「医者は臼と杵、あなたは餅です。明日は私達が頑張る番なので、何もせず安心して手術を受けてください。そして術後のリハビリで活躍してくださいね。」とお言葉を頂き、涙ぐみながら大笑いしました。
そして、手術当日の朝、執刀外科医と固い握手をして“気”を送っていただき、この日は来院が許されていた家族に見送られ手術室に入りました。
たくさんの照明に照らされた手術室では「テレビドラマのワンシーンのようだな」と感じた後、そのまま麻酔により意識がなくなりました。
術後目覚めた際の背中の激痛を覚えていますが、痛み止めをいただき、HCU(高度治療室)でもしっかり睡眠を取ることができていたように思います。
手術の翌日から、病院の廊下で理学療法士と歩行訓練を始めました。最初は歩行器を利用しながらですが、こんなに早い段階で歩けることが信じられませんでした。
そして手術から8日目の朝に無事退院。当時は新型コロナウイルスの感染が再拡大していたので、術後の身体で病院外に出るのが少し怖かったのを覚えていますが、無事手術を乗り越え、退院できた喜びに満ちていました。
退院後の生活
退院翌日から家族に付き添ってもらい毎日欠かさず散歩に出かけました。
マスクをしての歩行ということもあり、始めは息苦しかったり、胸痛を感じたりして休み休み進みました。周りの人に追い抜かれ、こんなにも歩けないものなのかと悲しくなりましたが、徐々に距離を伸ばし、退院から1カ月半後には、電車と徒歩で往復1時間20分ほどの通勤を要する職場にも復帰しました。
退院後は、心臓弁膜症ネットワーク主催のオンライン交流会に2回参加。一人一人事情が違い、様々な大変さがあるのだと感じると共に、皆さんの頑張りに勇気を頂きました。私は入院中にこの交流会を知りましたが、もっと早く知っていたら病気の情報収集や、精神面で助けられていたと思いました。
現在は仕事を続けながら、毎日1万歩を目標に歩き、週1回のピラティスに通っています。春からは地域の農園作業にも参加しており、まだまだ初心者ながらキュウリやナス、ズッキーニなどの新鮮なお野菜の収穫に心弾ませています。
また以前から挑戦したかった津軽三味線のお稽古をスタートさせました。
手術前に比べるとまだまだ体力は及ばず(老化もありますし!)、張り切りすぎると手術跡の痛みを感じたり、動悸がしたりと不安を感じることもあります。そんな時は自身の体調を理解し、身体を休めるため遠慮せずに横になったり、手術を受けた病院にご相談したりしています。いつも親身になってお話を聞いて下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。
この経験で得たもの
病気になることは決して嬉しいことではありませんが、マイナスなことばかりではないと思います。
新しい出会いもあり、家族をはじめ多くの人達に支えられていることを改めて感じ幸せな気持ちになりました。また、復帰したら何をしようと考えていた闘病期間がバネとなり、積極的に活動しています。
最後に、現在心臓の病気で悩まれている方や、闘病中の方、術後リハビリに励まれている全ての方々にエールを送ります。