村上 学(むらかみまなぶ)
1975年生まれ
僧帽弁閉鎖不全症
自宅療養中
診断のきっかけは仕事中の息切れから
私は妻と義父母の4人暮らしです。仕事はパチンコ店での勤務で、お客様の対応で常に動きまわっていたため、体力には自信がありました。
2023年1月、仕事中に咳が続き肩で息をするようになりました。幼少期からの軽度の喘息があり、その再発かと思ったため、毎月、喘息の定期検診で通院していた個人医院を受診しました。
診察時の聴診で医師から、「心臓に雑音があるので、レントゲンを撮らせてください」と言われました。その発言を受け「心臓?」という信じられない気持ちになったのを覚えています。その後の診察で、「総合病院へ紹介状を出しますので、早急に精密検査を受けてください」と告げられました。
医師から今まで自覚症状などがなかったか聞かれた時に思い出したのが、2022年11月に職場で受けた健康診断でした。健診結果には、心雑音があること、治療の必要はないが総合評価に従うこと、「自覚症状があるようなら」医師に相談するよう記載がありました。しかし、私は「自覚症状があればね」という軽い気持ちで受け止め、当時自覚症状もなかったので病院へ行くことはありませんでした。
個人医院からの紹介状で指定日に総合病院へ行き診断されたのが、「重症僧帽弁閉鎖不全症」でした。当日付き添いで来ていた妻にも同席してもらい、医師から病状の説明を受けました。
医師からは、弁が正常に機能していない為、肺に行く血液が逆流し、その影響で咳や呼吸の乱れがあること、心臓への負担がある為、就労は控えた方がよいことを説明されました。咳に関して、今思えば、明らかに普通の咳ではなかったのですが、当時は喘息から来るものだと思っていたので、心臓が原因だったと聞き驚きました。
また、治療については、開胸手術で機械弁への置換手術を行うこと、現在、(診断を受けた)病院では手術が出来ないため、大学病院で行うこと、体内の水分量が多くなると心臓への負担があるため、手術までは毎日、利尿剤の服用をすること、そして機械弁は金属でできた弁で軽く、半永久的に使用可能だが、血液と接触して血栓ができやすいため、ワルファリンという血栓を作りにくくする薬が一生必要だということを告げられました。医師からのお話は、受け入れて聞くことで精一杯でした。
診断を受けた日の夜、付き添ってくれた妻から、「死なないよね」と言われました。私も不安ではありましたが、医師からもしっかり説明を聞いたし、手術をすれば大丈夫だからと二人で話しました。妻もしばらくは不安そうな様子でしたが、その後は手術までゆっくりする時期なのだから、まず手術をしてから仕事のことなどを考えたらいいよと、寄り添ってくれました。精神的に支えてくれて、とてもありがたい存在でした。
診断を受け、手術を受けなければ病状が何も変わらないことを理解しましたが、手術をすぐに受けられるわけではありませんでした。翌月あたりに手術かなと思っていた私の予想に反し、大学病院での心臓手術は長い順番待ちでした。1月、2月で事前検査入院を紹介元の総合病院で行い、その後は自宅療養で手術を待つ日々が始まりました。
心臓手術の順番待ちに関して、当初はおおよその手術日の目安も教えてもらえず、不安な日々でした。そこで自分から、大学病院の心臓血管外科の事務へ毎月問い合わせをして、4月頃、最終的に5~6月頃になることを教えてもらいました。それだけで、いつになったら入院なのかという焦りやイライラを抑えることができました。結局5か月に渡り手術を待機していましたが、受け身ではなく、自分から行動することで、日々の時間を有効に活用することに繋がったと思います。
ただ、順番待ちでも、急患が優先される為、予定日が更に変更になる可能性があることもこの時知りました。入院と手術の日程は、入院予定日の10日~14日前に連絡がありました。大学病院での治療の仕組みについて知ることになった手術の待機期間でした。
診断を受けてからの心境
突然の心臓病告知から生活状況が変わり、日々が過ぎていく中で色々な想いが巡りました。
当時、務めていたパチンコ店での勤務を2月で終え、新しい業界での仕事を始めることになっていました。その仕事も体力を必要とするものでしたが、手術の日程や社会復帰の見通しが立たないため、内定を辞退せざるを得ませんでした。パチンコ店の勤務も、病状を説明し、予定より早く退職をすることになってしまったのです。
新しい仕事も、そして今の仕事も予定外に退職することになり、何もかもが無くなってしまうという悲しい気持ちと同時に、この先どうすれば良いのかわからず途方に暮れました。
なぜ、この重要な時期に自分が病気になってしまったのかと強く感じたことを覚えています。
でも、病気のせいで落ち込んでしまうのか? 今までの人生、困難があっても歩んできたのは自分だろう?と自分に問いかけ、鼓舞していきました。
病気を受け入れていくなかで重要だったのが、自分で病気のことを調べ、納得して治療を受ける気持ちになることでした。
私も妻も、心臓病は未知のことだったので、インターネットで、僧帽弁閉鎖不全症や、心臓の仕組み、手術の内容、体験談などを調べながら、不安をひとつひとつ解決するように努めました。
自分ひとりでは見つけられなかった情報も、妻からこんな情報があったと教えてもらったりして、二人で協力して情報を集めていました。
医師からの説明では、手術は機械弁への置換と聞いていましたので、術後のワルファリンのことについても調べました。食事や生活の制限が色々あることが分かりましたが、制限が出たとしても、それは自分が選んだものなので、生きるために必要なことだと理解して納得をしていたと思います。
そして、情報を収集する中で「心臓弁膜症ネットワーク」に出会うこともでき、体験者の声を読んで、勇気づけられ、不安なことも徐々に減っていきました。ボランティア募集の内容を拝見した時に、今の自分でも何か伝えることが出来るのではないのかと思い入会をし、私の体験を伝える機会をいただくことができました。
手術までの安静の日々は、激しい運動や活動はしないようにしていました。体調が安定していたこともあり、自宅にこもりきりではなく、気晴らしに妻を誘い、好きなドライブに時折行くようにしていました。
同時に、食事での塩分摂取量、適切な睡眠時間を含む規則正しい生活を意識しながら生活をしていました。体重や血圧は毎朝時間を決めて測定し、記録もしていました。
仕事をしていたときは、業務で動きまわっていたため、心臓に負担がかかり咳と息切れがありましたが、仕事以外のプライベートの時間は、落ち着いて過ごすことも多く、その生活を続ければ、体調に影響がないと実感できたのが自分にとって大きな気づきでした。それに気づいてからは、情報収集や妻の支えもあって手術への不安は一切なくなり、「手術を受けて、また新たな人生を歩む」という目標を糧に日々を過ごしていました。
落ち着いて受けることができた手術、その後のリハビリの大切さ
2023年6月に入り、大学病院から連絡があり、6月27日に入院し、翌日手術をすることが決まりました。1月からの待機でしたのでこのころにはもう不安もなく、荷物と気持ちの準備も万全で大学病院へ向かいました。
手術日の前夜は良く眠ることができ、翌朝はいよいよ手術を受けるんだと決意もできて、落ち着いていました。妻と姉に見送られ、9時に手術室へ入室。手術台に仰向けで横たわり、天井を見つめながら眠りにつきました。16時にICUで妻と姉が面会したそうで、私は20時頃に麻酔から目覚めました。
目覚めてぼんやりとした意識の中、天井を見つめながら、生きていることを実感し、戻ってこられたことをとても嬉しく感じました。手術は弁置換手術の予定でしたが、形成術に変更され、成功したと聞きました。手術中に医師が実際に僧帽弁を目視確認、手で触った感触で形成術で出来ると判断したそうです。
後は、耐えられない痛みがある時と眠れない時は、鎮痛剤と睡眠薬を患者の希望で投薬してくれるという病院の方針でしたので、痛みが強いときに鎮痛剤を数回、睡眠薬も1回お願いしました。
手術後の早い段階からのリハビリは回復に効果があるということで、術後翌日からリハビリに取り組みました。
手術後
1日目:ベットの上での上体起こし
2日目:ベット横での立ち上がりとICU内を歩行器を使い歩行
3日目:一般病棟へ移動
5日目からは、専属でリハビリの先生がつき、胸骨に影響のないストレッチ、歩行、自転車漕ぎなどを日々行いました。
医師、看護師、リハビリの先生は、医学の知識を一方的に伝えるのではなく、その時に合わせた日々の目標設定を行い、患者の立場に寄り添った伝え方をしてくれたので、入院生活は苦痛なく、リハビリを毎日、楽しく行うことができました。そのお蔭で日増しに回復していき、3週間で退院することができました。
すべてのことを受け入れて歩んできた結果の今、退院後の生活
2023年7月19日に退院し、手術から1か月後の7月28日、胸帯(きょうたい)を装着している状態で車の運転まで出来るようになりました。
胸帯とは、開胸手術後に胸骨が開かないように手術部を保護する為、3~6ヶ月間、24時間、装着となる胸用のサポーターのことです。
1月に心臓病と手術が必要と診断され、それからの日々は何をどのように考えていけばよいのか正解もありませんでした。そのような中で、入院前は「手術を受けて、また新たな人生を歩む」、手術後は「リハビリを頑張り、退院する」という自分なりの目標を決めて、何の根拠もありませんでしたが、この目標なら歩んでいけるという思いで日々を過ごしてきました。
日々、胸の傷痕を見て想うことは、情報を集め、納得して治療を受け、全てのことを受け入れて歩んできた結果、今の瞬間があるということです。
診断された当初は不安ばかりでしたが、入院の当日、手術前夜、手術の当日の朝、手術台の上で麻酔で意識がなくなる前、ICUで目覚めた時、ICUでの日々、一般病棟での日々、リハビリの時、全ての瞬間瞬間で起こることや自分の感情に注目し、意識を向け続けてきました。術後の痛みや治癒の為の発熱の時でも、これが生きている証なのだと思うことができました。
診断当初、あんなに不安に思えていたことでも、どんな状況でも自分の気持ち次第で、幸せや生きている証だと捉えることができました。心臓病になったけれど、手術を受け、回復できて良かったと感じています。
これから手術を受ける方へ伝えたいこと、社会復帰への支援とこれからの生活について
これから手術される方へ私から伝えたいのは、不安をひとりで抱え込まないでということです。不安を感じるのは自然なことです。その不安を、家族、医師、看護師、支援員、その他の相談できる人へ伝えれば、必ず導いてくれます。そしてその先の未来へ、焦らず自分なりに歩んでいってほしいと思います。
入院の準備に関して少しアドバイスしたいと思います。準備物は入院説明の際に聞いたり、必要なら電話で病院に確認したりすることをお勧めします。私も診断当初の何もわからない時点で自分なりに準備した時は、世界旅行にでも行くの? と妻に言われるぐらいの量になっていました。入院前の事前説明で確認し、その後に気になることは入院先へ電話で確認してスーツケースに詰めて持参したのが良かったです。
また、病院によっては備品での貸し出しをしてくれるところもあります。費用を考慮して借りるか持参するかの選択ができますので、状況に合わせて決めるといいと思います。
大学病院入院中に、退院してからの社会復帰についての相談支援がありました。退院後は地元の病院を受診することになるので、そちらの支援員へ引き継ぎや、病院側からハローワークへの情報提供などの支援があり、とても心強かったです。
社会復帰が出来たら、診断時の不安な時から、術後の生活もずっと支えてくれた妻を、私の運転で旅行に連れていってあげたいです。また、私が体験したことをこれからも色々な形で伝えていきたいと思っています。