心臓弁膜症も“人生のプロセスの一つ”​
治療を乗り越えて得た自分を大切にする日常​

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onadamay
1966年生まれ
僧帽弁閉鎖不全症
日本語教師

「まさか自分が…」心臓弁膜症の宣告に言葉を失った日

「明日、診察に来られますか?」「もし明日が無理でも、できるだけ早く診察に来てくださいね」

エコー検査を担当してくれた臨床検査技師がわざわざ待合室までやってきて、わたしに念押ししました。

2022年10月のある日。前月の健康診断で心雑音を指摘され、家からほど近い循環器の専門病院に足を運んでいました。

日本語教師として教壇に立ち、気づけばあっという間に過ぎていくような日々。1年ほど前から授業中に息苦しさを感じるなど、時折体調不良を感じていましたが、「きっと体力が落ちているのだろう」と思っていました。ほぼ毎年受けていた健康診断も特に問題はなかったため、楽観視していたのです。

しかし、臨床検査技師の様子に「ただ事ではないかもしれない」と思い、翌週、再度来院。「僧帽弁閉鎖不全症」と診断され、いずれ手術を受ける必要があると告げられました。家族に心臓の病気で手術を受けた人はおらず、「まさか自分が心臓の病気になるなんて」と青天の霹靂でした。

悩み、迷い、不信感―診断から手術までの長い道のり

それからは、1~2か月ごとのペースで通院が始まりました。
しかし、正直なところ診断されてから手術に至るまで悩むことは多々ありました。

まず、悩んだのは担当医とのコミュニケーションです。

担当医は、病気や治療などの説明をほとんどせず、わたしが質問したことに対して答えるだけ。2回、3回と診察を重ねるうちに病状を聞き出すことができ、ようやく僧帽弁の逆流は「シビア(重度)」であること、そして「1~2年のうち」に手術が必要とのことが分かりました。

わたしは、体にかかる負担が少ない低侵襲手術を希望していましたが、担当医は「県内でできる手術方法は、本院を含めて開胸が必要な『胸骨正中切開』しかない」「低侵襲手術を受けたい場合には他県の病院に紹介状を書く」とぴしゃり。しまいには、手術の時期を相談する際も「それくらいでいいんじゃないですか」と返事をする始末でした。

診断から数か月が経過すると、検査結果上では病気の進行は認められなかったものの、息苦しさと胸の圧迫感が生じ、病状は悪化していると感じました。

症状を医師に伝えると、腎臓の数値があまりよくないとのことで、利尿剤が処方されました。これによって日常生活に支障が出るほどトイレが近くなり、QOL(生活の質)が下がってしまったのですが、副作用を気軽に相談できる雰囲気ではないことなども重なり、担当医への不信感は募っていきました。

ようやくできた仲間に背中を押されて相談窓口へ

医師を信頼できなかったことに加え、当時のわたしには、病気に関する不安を打ち明けられる人がいなかったことで、1人で抱え込んでいるような感覚がありました。
家族や友人には、大きな病気にかかった人はいませんし、夫は死を連想する話が非常に苦手。離れて住む高齢の母には心配をかけたくない一心で、周囲にはとにかく普段通りふるまう必要があったのです。

2023年も半ばに差し掛かるころには、医師への不信感が限界に達し、大学病院へのセカンドオピニオン依頼を検討しました。​しかし、自宅から大学病院までは車で1時間以上。通院の負担を考えると、なかなか決められずにいました。

その頃に、心臓弁膜症ネットワークを見つけ、オンライン交流会に参加しました。

同じ病気を抱えた方たちと話ができたことで背中を押され、通院している病院の相談窓口に足を運びました。正直、窓口に相談することには勇気がいりましたが、窓口の方は「相談されたことで、何かしらの不利益を被ることはありませんよ」と話したうえで、とても親身に話を聞いてくださったのです。

その結果、担当医が交代し、すぐさま心臓血管外科医にも診察してもらうことができました。

新しい循環器内科医と心臓血管外科医は、2人とも「手術は早いほうがいい」との意見で一致したため、手術を早めることを決意。自覚症状が悪化してきたこともあり、自分の体を優先して、2023年9月末に手術(僧帽弁形成術)を前倒しすることになりました。

心臓手術を前に、わたしが選んだ“備える”行動

手術日が決まってからは、入院や退院後の生活に向けて、少しずつ備えるようになりました。

まず、入院期間を少しでも心穏やかに過ごせるよう、パジャマやタオルなど好みのデザインのものを購入したり、Audibleというオーディオブック(聞く読書ができるサービス)に登録したりと、できるだけ癒されるものを準備。また、手術後はなかなかお風呂に入れないとも聞いたので、髪を短めにカットしましたし、退院後の楽しみとしてコンサートのチケットを購入したり、美容室の予約を入れたりもしました。

心臓の手術を受けることに関しては、やはり恐怖感を取り払えず、自分の命を他者(医者)に預けなければならないのは本当に心細いと感じました。

ただ、命のこともどこか現実的に受け止められる自分がいて、早々に気持ちを落ち着かせられた後は淡々と準備を進められました。正式なものではありませんが遺言書を作成したほか、万が一、わたしが帰らぬ人となった場合にそのことを伝えてほしい連絡先などをリスト化して夫に共有し、手術の日を迎えました。

ポーチと御守りの写真
入院に持参したポーチといただいた御守り
手術前日のonadamayさんの写真
手術前日の緊張と手持ち無沙汰

記憶にない壮絶な時間と、忘れられないあたたかい支え

正直にお伝えすると、開胸手術の直後は大変でした。心房細動の発作(※1)が生じ、せん妄状態に陥っていたのです。夫は毎日面会に来てくれたのですが、手術から2日間ほどは、夫に会った記憶も、担当医に会った記憶もありません。

確かに覚えているのは、手術の傷口の痛みと、息苦しさや喉の渇きが辛かったこと、そして、看護師さんがいろいろとケアしてくださったことくらいです。

術後3日目に一般病棟へ移り、5日目に20分ほどかけて背中から肺の水を抜きました。排出された水分量はなんと800ml。大きなビーカーいっぱいに排出されたのを見て、大きな衝撃を受けたのを覚えています。

手術を執刀してくれた心臓血管外科の担当医は、決して言葉数が多い方ではありませんが、退院まで毎日必ず病室に顔を出してくれました。「体調はどうですか?」と一言聞くだけのこともありましたが、こまめに気にかけてもらえるのは大変に心強く、信頼することができました。

リハビリでは、フロアを歩いたり階段を上り下りしたりしたほか、フィットネスマシンを使って自転車漕ぎにも熱心に取り組みました。理学療法士の方とおしゃべりをしながら取り組めたので、楽しい時間を過ごすことができたと思います。

当初、入院予定期間は2週間でしたが、リハビリが順調に進み、想定よりも早く回復できたようで、10日目には退院できました。

(※1)開胸手術によって、心臓の組織が刺激されて電気信号が乱れやすくなるほか、手術そのものが身体に大きな負担となることなどから、開胸手術後は心房細動が発生しやすいといわれています。

ハーネス姿のonadamayさんの写真
退院後のハーネス姿

あたたかなサポートに支えられ、ようやく戻れた日常

退院後は、2か月近く痛みとの戦いが続きました。

特に、目をつむると意識が手術の傷口に集中してしまうためか、寝ているときが一番痛みが強くなりました。そのため、しばらくは睡眠導入剤なしで眠れなかったのですが、そのことを担当医に相談したところ、「睡眠導入剤は飲まずに枕元に置いて、どうしても眠れなかったら飲むように」と、睡眠導入剤を“お守り”として活用することを提案されました。はじめのうちは大丈夫かと不安でしたが、徐々に睡眠導入剤がなくても眠れるようになりました。

手術から3か月後には単発の仕事を行い、長年続けているボランティア活動にも復帰。そして手術から約半年後には、仕事に本格復帰できました。復帰までに期間が空いたように感じるかもしれませんが、年間契約で授業を担当するため、新学期からの復帰となったのです。

仕事は下半期を丸々休む必要があったため、周りに迷惑がかかるのではと心配していましたが、本当に理解のある方ばかりで、あたたかくカバーしてもらえたのは本当にありがたかったです。

仕事復帰後に授業を行っているonadamayさんの写真
術後の仕事復帰(授業中の様子)

心地のよい人生へ。心臓弁膜症がくれた新たな価値観と暮らし方

手術を受ける前は、息切れや胸の圧迫感といった自覚症状が現れていましたが、手術以降は全く出ていません。直近の検査でも、医師から「全く問題ない」と太鼓判をもらいました。

これまでの人生でいろんな困難も経験してきたので、心臓弁膜症の経験も「人生の一つのプロセス」と受け止めています。しかし、自分の生活や人生を見直すとてもよい機会になったと感じています。

これからは、肉体的にも精神的にもストレスが大きいことは避けて、できるだけ自分を大切にしながら暮らしていこうと考えるようになりましたし、入院前から始めたAudibleのおかげで、1年半で170冊以上も“聴了”でき、以前より人生が確実に豊かになりました。

また、自分の経験が誰かの助けになればと思い、心臓弁膜症のブログを始めたのもよかったと感じています。

伊東温泉旅行中のonadamayさんの写真
術後半年初めての伊東温泉旅行

医療者と、同じ病気を抱える方に伝えたいこと

心臓弁膜症の治療を進めるにあたって、手術の担当医や看護師、相談窓口の方々など、支えてくれた多くの方には、言葉では言い尽くせないほど感謝しています。

ただ、1人目の担当医や、本体験談には記載しませんが母のかつての担当医など複数の医療者と深く関わるなかで、インフォームドコンセントが不足している医療者は少なくないと感じました。

説明と対話が足りないと、患者が自身の病気と向き合うまでの道のり(ペイシェントジャーニー)までが遠くなります。患者にとって医療に関する正しい情報を集めるのは決して容易ではありません。医療者には、机上の倫理教育から脱して、もっと目の前の患者を見て伴走してほしいと強く願います。

心臓弁膜症と診断されて不安に襲われているご本人やご家族の方は、どうか1人で悩みを抱えこまないでください。

人によって症状の現れ方や治療への向き合い方、術後の経過など大きく異なりますが、わたしは心臓弁膜症ネットワークの交流会で多くの方とお話できたことで心の安定につながりました。

誰かに話すことで、きっと靄が晴れて、前向きに治療へ取り組むことができます。自分を守るためにも、同じ病気を持つ人たちと繋がって心の拠り所を得てください。

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